クラシックが流れているようなところっていいな・・・
そう思うあなた、じゃあもっとクラシック音楽を聴きましょう!
ところで・・・
なぜクラシックなの?
クラシック音楽を聴くメリットは何なの?
そんな素朴な疑問への私Inaの答えは、
クラシック音楽は、ちっぽけな自我(エゴ)に縛られている”自分”を引っ張り出して、より高いレベルへ引き上げてくれるから
です。
きっと感じていますよね。
クラシックを耳にすると心が落ち着くとか、
元気になるとか、勇気が湧くとか・・・
それは、なぜなのか。
たとえば、ベートーヴェンは、聴く人の精神に強く働きかけることを願って描きました。
しかも、ずっと後世の人たちのことまで考えていたのです。
ベートーヴェンの遺した言葉からベートーヴェンを聴くべき理由や効用を考えてみました。
Contents
ベートーヴェンは”私たち”のために作曲した
そもそも、ベートーヴェンは誰のために作曲したのかというと、
”私たち”のためです。
ぼくの芸術は、貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない
ベートーヴェンの生きた時代、芸術家は宮廷や貴族のお抱え、いわば雇い人として彼らの注文に応じて作曲するのが常でした。
その慣習を破り、ベートーヴェンは広く一般に向けて描きました。これは革命的なことだったのです。
ベートーヴェンにも、パトロン的貴族がいて経済的援助を受けています。彼らに献呈された作品もあります。
・・・が、彼は、決してパトロンたちに仕える下僕として彼らを喜ばすためだけに作品を描いたわけではありません。むしろ、自分の才能に貴族たちが出資するのは当然と考えていました。ノリとしてはこんな感じです。
「君たちは、ただ貴族の家柄に生まれてお金があるだけ。僕は音楽家なんだよ、君たちが絶対に手に入れることができないものを持っていて、君たちが遊んでいる間に心血注いで他の人にはできない仕事をしているんだよ。私に出資できるなんて君は幸せだよ!」
非常に高飛車ですが、実際にベートーヴェンは反体制的で恐れを知らない、勇敢を通り越して無謀ですらあった人です。
そんな彼が、金持ち貴族よりも愛したのは一般民衆です。ベートーヴェンは”弱きを助け、強気を挫く”人でした。
ぼくの芸術は、貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない。
この”貧しい”ですが、単に経済的な意味ではないと思うのです。
というのも、(当然ベートーヴェンも知っていた)聖書のこんな言葉があります。
貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
(新約聖書 ルカによる福音書6章20節)
心の豊かさと現実の生活の豊かさは切り離すことはできません。
この”貧しい”は、物理的な貧困だけではなく、希望を持てないとか、孤独とか、そういう精神的な”欠乏”を表していると思うのです。
実際、ベートーヴェンが30代の頃、ウィーンはナポレオン軍の攻撃にさらされ、ベートーヴェン自身地下室に身を潜めていた日々があります。有名なピアノ協奏曲第5番はそんな頃に生まれました。
冒頭の奮い立つような力強さ、未来からやってくるような輝かしさ、
第2楽章の慰めと平安、
第3楽章の勝利と歓喜。。。
ベートーヴェンが求め、実現しようとした真に豊かで輝かしい世界がこの作品に体現されていると、私は思います。
神性に近づき、その輝きを人類の上に撒き散らすことほど美しいことはない
ベートーヴェンはカトリックのクリスチャンでしたが敬虔ではなかったようです。とは言え、想像するにそれは”教会の権威に対する反抗”であって、真理への畏敬の念は誰よりも強いものでした。
神性に近づき、その輝きを人類の上に撒き散らすことほど美しいことはない
”神性”の対極が、欲やエゴなど人間の悲しい性です。
世の中の問題がなぜ起こるかというと、欲とエゴに突き動かされるからです。国際紛争や政治経済の問題から、夫婦・兄妹けんかや友人関係のぎくしゃくなどあらゆるレベルの問題は、人間の欲やエゴが原因です。
では、”神性”の<神>とは何かと言えば、わかりやすく言うなら<愛>でしょう。
ただし、恋愛や性愛の<愛>ではなく、キリスト教的な愛です。
好きな人にはやさしく、嫌いな人には冷たいとか、
外では愛想いいけれど、家族にはぶっきらぼうだとか、そういうのではなく、
太陽の光のように、全ての人に等しく降り注ぐもの、それがキリスト教的な愛です。
ベートーヴェンも人間ですから、というか、かなりエキセントリックな人で、色々と問題は起こしました。
けれど、音楽に関しては神性=愛を求め、注ぎ込みました。
たとえば、このピアノソナタ第31番。第1楽章の美しさで人気の作品ですが、ぜひ最後まで聴いてください。第3楽章のフーガこそ”神性の輝き”です。
いい音楽を聴いた後の、何とも言えないすがすがしい感じや、つい数十分前にイライラしていたことをすっかり忘れていたりするのは、そういう神性のシャワーで洗い流されるからだと思います。
音楽という神性のシャワー浴びましょう。
墓の下にいても、あなた達の役に立てる。これほどの嬉しいことがあるだろうか。
ベートーヴェンは、一般民衆のために音楽を描きましたが、それは彼が生きた同時代の人にとどまりません。
墓の下にいても、
あなた達の役に立てる。
これほどの嬉しいことがあるだろうか。
この”あなた達”は、まさしく”私たち”ですよね。
こんな言葉もあります。
これはあなたのために
書いたのではありません。
後世のために書いたのです。
クラシックがポピュラー音楽と決定的に違うのは、流行と無縁なところです。
次から次へと新曲を出し続け、ヒットを飛ばさないと消えていく芸能界と違い、クラシック音楽には時を超え、国境を越えて生き続けています。
それは、そこに”真理”の輝きがあるからです。
真理とか神性とか愛とか・・・
そういう普遍的なものに触れることができるのがクラシック音楽です。
ベートーヴェンはBGMには不向きです
ベートーヴェンは”私たちのために”音楽を描きました。
でも、実は、気軽なBGMとして聴くには不向きです。
通勤のBGMならまだしも(それでもちょっときついのではないでしょうか)、PCで作業しながら『皇帝』聴くなど、私にはできません。作業やめて『皇帝』を聴くか、『皇帝』を消して作業するかのどちらかになります。
なぜなら、
ベートーヴェンの音楽は、内容が濃くて、重い上に、「これでもか~!!」というほどしつこいからです。
精神に巣食っている”弱虫”の最後の1匹まで許さないぞ~!!と言わんばかりに執拗に攻めてきます。
まるで治療のようでもあるかもしれません。
治療って大変ですよね、疲れます。たとえば、歯医者さん。私は30分治療してもらうとぐったりします。でも、治療は必要です。
ベートーヴェンの音楽にはそんな治療効果があります。効き目は抜群ですよ。
38歳頃のベートーヴェンの肖像画。
いい目ですよね。
有名なモジャモジャ頭でいかめしい表情の絵(50歳過ぎ)よりも、こちらの方が本物のベートーヴェンに近いのではないかと勝手に想像しています。私はこのベートーヴェンが好きです。
音楽は葡萄酒?!
精神を解放してくれると言えば、手近なところでアルコールが浮かぶ人もいるでしょう。
私もワイン好きです。。。
アルコールは、紅茶にはない楽しみがあります。
ベートーヴェンもお酒が好きでした。
よく知られるようにベートーヴェンのお父さんは大酒飲みでそのためにベートーヴェンは早くから家計を支えなければならなかったのですが、アルコール遺伝子は父親譲りでかなり酒豪だったようで・・・
音楽は葡萄酒だと言っています。
音楽は新しい創造を醸し出す葡萄酒だ。そして私は人間のためにこの精妙な葡萄酒を搾り出し、人間を精神的に酔わすバッカスだ。
この言葉に私が想い浮かぶ作品は、ピアノ協奏曲第4番です。
ベートーヴェンの作品の中ではアグレッシブ度が極めて低く、美しく、ミステリアスで不思議な雰囲気ですが、ワインを飲んだ時の気分を想うとなんかわかるんですよね~。。。
ベートーヴェンはBGMには向かないと書きましたが、この作品はワインを片手にひとり静かに聴くのも一興です。
Mitsuko Uchidaこと内田光子さん自身のミステリアスな空気とあいまって、絶妙な演奏になっています。
まとめ
クラシック音楽の代名詞としても使われるほどメジャーなベートーヴェンは、実は後世の”私たち”のことを考えて音楽を描きました。
その言葉をまとめましょう。
ぼくの芸術は、貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない。
神性に近づき、その輝きを人類の上に撒き散らすことほど美しいことはない。
墓の下にいても、あなた達の役に立てる。これほどの嬉しいことがあるだろうか。
ベートーヴェンが描いた音楽は、単に気晴らしやBGMではなく、精神に強く働きかける”治療効果”があります。
いや、本当のところはアルコールのようなものかもしれません。
音楽は新しい創造を醸し出す葡萄酒だ。そして私は人間のためにこの精妙な葡萄酒を搾り出し、人間を精神的に酔わすバッカスだ。
・・・とにかく、ベートーヴェンを聴きましょう。クラシック音楽を聴きましょう。。。
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