7月1~10日ゆかりの音楽家たちをピアノ・弦楽器・管弦楽・・・の優先順位で紹介しています。
あなたの誕生日にゆかりの音楽家は誰でしょう?
記念日にゆかりの音楽家は?
嬉しい時に聴く音楽は喜びをさらに大きくしてくれて、
凹んだ時に聴く音楽は慰めをもたらしてくれます。
音楽のある毎日で心穏やかに、そして豊かにお過ごしください。
Inaの音楽カレンダーは、Twitterでも毎日ご紹介しています。
Contents
7/1はジョルジュ・サンドの誕生日
ショパンの円熟期の名曲が生まれた背景にジョルジュ・サンドありのその人、7月1日はジョルジュ・サンド(George Sand)ことアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパン(Amandine-Aurore-Lucile Dupin)の誕生日です。
1804年フランス・パリに生まれたジョルジュ・サンドは、伯爵夫人であり作家。
男装して社交界に出入りしていた、なかなかユニークで勇敢な女性。
サンドがどんな人か知りたい人は、『愛の妖精』を読んでみるといいと思います。真っ直ぐで爽やかな空気は、サンド自身を表しているようです。
伯爵夫人で、子どもも2人いるのに、リストと深い関係だったこともあったり・・・
そして、ショパンと逃避行してしまいます。
でも、最後は別れるのですよね。。。
サンドはショパンの「ママ」だったのだろうなと想像しています。
マヨルカ島でサンドとショパンが過ごした冬に描かれた作品のひとつソナタ第2番より第1楽章を、グレゴリー・ソコロフの演奏で聴きましょう。
7/2はダン・タイ・ソンの誕生日
7月2日は、ダン・タイ・ソン(Đặng Thái Sơn)の誕生日。
1958年ベトナム・ハノイ生まれのダン・タイ・ソンは1980年ショパン国際コンクールでアジア人として初めて優勝しました。
ベトナム戦争中には、防空壕のアップライトで練習したとか、月明りで紙鍵盤で練習したとか・・・
モスクワ音楽院留学生だった22歳で出場したショパンコンクールでは、前評判もなく、全くノーマ―クで、誰も知らないアジア人がいきなり凄い演奏をして騒然としたようです。
そのコンクールの時の演奏でショパン スケルツォ第2番です。
完全にあっちへ逝っていますね。。。
7/3は指揮者カール・シューリヒトの誕生日
7月3日は、ドイツの指揮者カール・シューリヒト(Carl Adolph Schuricht)の誕生日。
1880年ポーランド・グダニスク生まれ、21歳でマインツ市立歌劇場のコレペティトール(声楽練習の伴奏者)に就任し、音楽キャリアをスタートさせ、75歳で初めてウイーンフィルを指揮し、晩年になって名声を得たという叩き上げ&大器晩成の人。
このブラームス2番は録音のせいもあるのでしょうが、かなり透明でシャープですね。
若い頃の写真を見ると、切れ味のよさげで涼やかでややミステリアスな雰囲気をたたえています。あんまり、外見には興味ないのですが、彼はかなり美形だと思います。
7/4はアルフレート・グリュンフェルドの誕生日
7月4日は、プラハ生まれでウイーンで活躍したアルフレート・グリュンフェルド(Alfred Grünfeld)の誕生日。
1852年プラハ生まれのグリュンフェルドは、録音を遺した最初の著名なピアニストのひとりでもあります。
ヨハン・シュトラウス2世のワルツの演奏会用パラフレーズの公開演奏で名を馳せ、シュトラウス2世本人から《春の声》作品410を献呈されています。
これは《ウィーンの夜会》として知られるヨハン・シュトラウスのワルツ主題による演奏会用パラフレーズ(オペレッタ《こうもり》などから) です。
古い録音ですが、ウイーンの香り漂う粋な演奏です。
7/5はランドフスカとシュタルケルの誕生日
7月5日は、ポーランド出身のチェンバロ奏者、ピアニスト ワンダ・ランドフスカとチェリスト シュタルケルの誕生日。
7/5はピアニスト ワンダ・ランドフスカの誕生日
7月5日は、ワンダ・ランドフスカ(Wanda Landowska)の誕生日。
1879年ポーランド・ワルシャワ生まれのランドフスカは、バロック時代に全盛だったチェンバロは、ピアノの発展と普及に伴いロマン派の時代にはすっかり忘れさられてしまいますが、それを20世紀に復活させた立役者です。
ワルシャワ音楽院でピアノを学び、13歳でバッハの作品を含むプログラムでリサイタル。
ヘブライ音楽を研究する夫の影響でチェンバロに興味を持ち、プレイエル社に構想を持ち込んだランドフスカ設計の近代チェンバロは、1912年ブレスラウ音楽祭でお披露目され、大反響を呼びました。
バッハ イタリア協奏曲の録音を聴くと、冒頭、現代の一般的なスタイルに比べるとなんか重い感じがしますが、聴いているうちに徐々に味わい深さに変わっていきます。
7/5はチェリスト ヤーノノシュ・シュタルケルの誕生日
7月5日は、ハンガリーのチェリスト ヤーノシュ・シュタルケル(János Starker)の誕生日。
1924年ブダペスト生まれ。7歳でブダペスト音楽院に入学を許された神童。
チェロと言えば、ドボコンことドボルザーク チェロ協奏曲ですが、こんなに軽々と弾かれると違う曲みたいですね。
チェロはもう少し重さが欲しいと思うほどの鮮やかな演奏です。
7/6はウラディミール・アシュケナージの誕生日
7月6日はウラディーミル・アシュケナージ (Vladimir Davidovich Ashkenazy)の誕生日。
1937年ロシア・ニジニ・ノヴゴロド出身、ショパンコンクール2位、エリザベート王妃国際コンクール優勝、チャイコフスキー国際コンクール優勝の輝かしいキャリアは、旧ソ連体制時代に「勝つこと」を求められた証でもあります。
27歳で亡命、後に妻の母国アイスランド国籍を取得、現在はスイス在住。
ピアニストであると共に、指揮者としても活動。2004年から2007年までN響の音楽監督を務め、退任後は桂冠指揮者となっています。
ラフマニノフに特別の思い入れがあるとの事なので、エチュード「音の絵」作品39のライブ録音をどうぞ。
7/7はグスタフ・マーラーの誕生日
7月7日はグスタフ・マーラー(Gustav Mahler)の誕生日。
1860年オーストリア・ウィーンに生まれ活躍した作曲家・指揮者で、交響曲と歌曲が多いのでピアノ弾きにはちょっと遠い存在かもしれません。
絶頂期の作品、交響曲第5番嬰ハ短調をゲルギエフ指揮BBC交響楽団の熱い演奏で汗をかいてください。
7/8はパーシー・グレインジャーの誕生日
7月8日は、パーシー・グレインジャー(Percy Aldridge Grainger)の誕生日。
1882年オーストラリア・メルボルン近郊に生まれたグレインジャーは、10歳でリサイタルデビュー、12歳で最初の演奏旅行に出る神童ぶりを発揮。
1895年13歳の年に母と共にドイツ・フランクフルトへ渡りピアノ演奏と作曲を学び、1901年19歳でイギリス・ロンドンへ行き、この間に『コロニアル・ソング』と『モック・モリス』が出版されている。
第一次世界大戦勃発の年にアメリカへ移住、生涯を過ごしました。
従来の常識的な編成にとらわれない編成(大編成の木管楽器での合奏や、複数配置された合唱隊や打楽器のみのためのもの)や、現代のシンセサイザーの先駆者と共同するなど、常に商戦的で前衛的な音楽家でした。
「走るピアニスト」と言われた彼らしい作品『岸辺のモリー』をどうぞ。
7/9はオットリーノ・レスピーギの誕生日
7月9日は、オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi)の誕生日。
1879年イタリア・ボローニャ生まれのレスピーギは、音楽教師だった父親からピアノとヴァイオリンの指導を受けボローニャ高等音楽学校で学んだあと、1902年と1903年のシーズンにロシア帝国劇場管弦楽団の首席ヴィオラ奏者としてペテルブルクに赴任、イタリア・オペラの上演に携わりました。
その際にリムスキー=コルサコフから5ヶ月指導を受け、管弦楽法に強い影響を受けました。
1917年に今日では代表作となっている交響詩《ローマの噴水》をローマで初演するも不評で、自信喪失。。。
翌1918年にトスカニーニがミラノで再演し、大成功したため作曲家としての道が開かれました。
初演がうまくいかなかった作品はホントに多いですよね。
ローマの四つの噴水で、その特徴が周囲の風物と最もよく調和している時刻、あるいは眺める人にとってその美しさが、最も印象深く出る時刻に注目して受けた感情と幻想に、表現を与えようとした。
そうスコア冒頭に描かれた『ローマの噴水』を美しい映像とともにどうぞ。
7/10はヘンリク・ヴィエニャフスキの誕生日
7月10日は、ヴァイオリニストにとって欠かせないヘンリク・ヴィエニャフスキ(Henryk Wieniawski)の誕生日。
1835年生まれのユダヤ系ポーランド人ですが、父の代にユダヤ教からカトリックに改宗。
8歳でパリ音楽院に入学し、13歳で独立した演奏家として広く欧米を巡演した神童。
1874年から1877年までブリュッセル王立音楽院教授として教育活動に従事している。
技巧的で情熱的な華やかな作品と演奏が人気。
1935年には生誕100年を記念して、ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールが創設されました。
ポーランド人といえば、ポロネーズ。
華麗なるポロネーズ第1番 二長調。
あのイツァーク・パールマンの弟子ウィリアム・ハーゲンの演奏でどうぞ。