クラシック音楽は高尚だからこそ感動も慰めも大きい

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クラシック音楽は敷居が高い、
クラシック音楽は高尚だ・・・

そんな声が象徴するように、日本のクラシック音楽人口は約1%と言われます。

クラシックファンって、とってもマイナーなんですよね。

とは言え、カフェならクラシックが流れているようなところがいいという人は少なくありません。

クラシックは高尚だからと敬遠する人がいる一方で・・・

敷居が高いと言われるクラシック音楽に、他の何物にも代えがたい喜びや慰めや癒しを感じる人も沢山います。私もそうです。

実は、高尚さこそクラシック音楽の本質でもあります。

その高尚さはどこから来るのでしょうか?


この記事を書いた人
Ina / 伊奈葉子

ピアノと音楽、自然とお茶時間をこよなく愛するInaこと伊奈葉子です。慶應義塾大学文学部卒業。詳しいプロフィールはこちら♪


神にささげる音楽として始まったクラシック音楽

そもそも、クラシック音楽は、成立の歴史において本当に敷居が高いものでした。

誰でもが簡単に歌ったり、演奏したり、聴いたりできるものではなかったのです。

クラシック音楽の起源はお祈りの音楽”グレゴリオ聖歌”

クラシック音楽の起源と言われるのは、グレゴリオ聖歌です。

グレゴリオ聖歌は、中世ヨーロッパにおいて絶対的な力を持っていたキリスト教会で、お祈りの音楽として生まれました。

たとえばグレゴリオ聖歌のひとつ「アヴェ・マリア(Ave Maria)」はこんな歌です。1分ほどなのでポチっと聴いてみましょう。

聴いてわかるように伴奏もなく、単旋律のシンプルな音楽です。

シンプルなのは、音の動きに厳格な規則があるからなのですが、それは別の機会にゆっくり書きましょう。

修道士のお勤めだったグレゴリオ聖歌

現代では聖歌や讃美歌は、教会のミサや礼拝に出席すればみんなで歌います。

クリスマス・キャロルとして有名な「きよしこの夜(聖夜)」は讃美歌・聖歌のひとつですが、クリスマスシーズンにはBGMとしてどこでも流れて、教会でなくてもクリスチャンでなくても誰でも歌います。

しかし、グレゴリオ聖歌はそのような気軽なものではありませんでした。

グレゴリオ聖歌は修道士たちの日々のお勤め、神にささげる祈りの音楽として歌われるもので、一般民衆が歌うことは(原則として)ゆるされなかったのです。

中世という時代には、現代のように自動車も走らないし気密性の高いサッシもありません。修道院で日に何度も歌われるグレゴリオ聖歌は門や塀を通り抜けて街の通りに響きました。

毎日聴こえてくるその歌声を覚えて思わず口ずさみたくなるのは自然なこと・・・
神に捧げるグレゴリオ聖歌を歌えば、自分も神に近づけるのではないかと思うのも自然なこと・・・

しかし、修道士の修行・お勤めの一貫として塀の中で歌われるグレゴリオ聖歌を、一般民衆が歌うことは(原則)許されませんでした。

神への祈りとして捧げられる「グレゴリオ聖歌」。
修道士のお勤めとして修道院の中で歌われた「グレゴリオ聖歌」

それがクラシック音楽の起源です。

神にささげる音楽が起源なのですから、高尚なのは当然。
修道院の中で修道士だけが歌ったのですから、敷居の高さは現代の比ではありません。

俗世からかけ離れた聖なる音楽として生まれたグレゴリオ聖歌、それがクラシック音楽の起源なのです。

”神”がDNAに組み込まれている人々が描いたのがクラシック音楽

ヨーロッパはキリスト教会抜きでは語れません。

生まれてすぐに教会で洗礼を受け、日曜日には正装して教会にミサや礼拝に行きます。

食事の前、就寝前にはお祈りを捧げ、「主の御心のままに・・・」、「主の慰めがありますように・・・」ということばが自然に口をついて出てくるのがヨーロッパの人々です。

それは、大作曲家たちも例外ではありません。

モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ショパン・・・作曲家たちの手紙を読むと、”神”が登場しない手紙は1通もないと言っていいほどです。

自分が今ここに存在するのは”父”たる神のおかげ、そんな存在です。

モーツァルトは、自分の音楽の才能が神から与えられたもので、作曲するのは神の意思だと信じていました。こんな言葉でそれを語っています。

ぼくは作曲家で、楽長に生まれついたのです。ぼくはやさしい神さまがこんない豊かに授けて下さった作曲の才能(高慢でなくこう言っていいと思います。今ほどそれを感じている時はありませんから)それを埋もらせてはいけませんし、またそんなことはできません。

柴田治三郎編訳『モーツァルトの手紙(上)』岩波文庫、P.120。

モーツァルトにとって作曲することは、神への献身そのものだったのです。

俗世に堕することなく、煩わしい日常を超えて天上に眼差しを向けて、聴こえてくる音楽を描いた・・・

自我とかちっぽけなエゴを超えて(少なくとも超えようとして)創作された音楽、それがクラシック音楽です。

クラシック音楽は、常に高みを目指す精神そのもの。

だからこそ、大きな感動を生み、慰めや癒しをもたらすのです。

敷居を超えてクラシック音楽のシャワーで生命の洗濯をしよう

クラシック音楽が好きな人には、浮世離れしている人が多いです。

それはクラシック音楽の非日常性に感化されて、本当に”あっちへ”逝っちゃっているからです。

私も、よく皮肉まじりにこう言われます。

いつも、ひとり飄々として幸せそうだよね。。。

人から羨ましがられるくらいに幸せに見えるのはクラシック音楽のおかげです。

クラシック音楽を楽しむのに、知識は要りません。
作曲家や作品のことを沢山知っている必要もありません。

響きのシャワーを浴びればいいのです。

「カフェならクラシック音楽が流れているようなところがいい・・・」と思うなら、ちょっとだけ背のびして敷居を越えて、クラシック音楽に耳を傾けてみましょう。CDやYoutubeだけでなく、ライヴのコンサートに出掛けましょう。

クラシック音楽のシャワーを浴びて、
生命の洗濯をすれば、
心もすっきり軽やかになり、
景色が違って見えますよ!

たいていの悩みはどうでもよくなるか、
何とかなるさ、と力が湧いてきます。

クラシックの演奏会に行ってみたい方には、ラ・フォル・ジュルネがおすすめです!

2018年、フランスのナントで年に一度開催されるフランス最大級のクラシック音楽の祭典「ラ・フォル・ジュルネ」を今年も日本で開催!。今回のテーマは「UN MONDE NOUVEAU -新しい世界へ-」。

参考までに昨年のレポです。

音楽とは奇跡|ラ・フォル・ジュルネは音楽のテーマパーク

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ゴールデンウイーク恒例となったクラシック音楽のお祭り、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017。 今年も行って参りました! そ...

まとめ

クラシック音楽は敷居が高い、高尚だと敬遠する人が少なくない一方で、クラシック音楽の熱烈なファンもいます。クラシック音楽に感動し、喜びや慰めや癒しを感じる人も沢山います。

クラシック音楽の起源であるグレゴリオ聖歌は、神にささげる祈りの音楽として生まれました。キリスト教社会に生まれ育った大作曲家たちた、自我やエゴを超えて(少なくとも超えようとして)創作したのがクラシック音楽です。

クラシック音楽は、本質的に高尚であり、常に高みを目指す精神そのものなのです。

クラシックのシャワーを浴びて、生命の洗濯をしましょう。