ヴァディム・ホロデンコ ピアノリサイタル2019|音楽家の使命と存在意義

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梅雨空の豊洲でヴァディム・ホロデンコを聴きました。

初めてライブを聴いたのは2008年6月。前年に開催された第3回仙台国際コンクールヴァイオリン部門で優勝したアリョーナ・バーエワの入賞記念コンサートで共演ピアニストとして来日。

その仙台国際の第4回ピアノ部門で彼自身が優勝して、2011年6月に浜離宮で聴いたのが2回目。

そして、今回は第7回仙台国際コンクールの審査員を務めた後のリサイタル・・・

毎回、期待をはるかに超える進化を聴かせてくれるホロデンコですが、今回もどんよりした梅雨の空気を吹き飛ばしてくれる素晴らしい演奏を聴かせてくれました。


この記事を書いた人
伊奈葉子 / Yoko Ina Piano Teacher

自分の手で演奏できるのが何よりの喜びです。ピアノ・音楽、自然とアートとお茶時間をこよなく愛しています。詳しいプロフィールはこちら


ショパンのエチュードからの心象風景を音にしたゴドフスキ

開演前のロビーの雰囲気が妙に濃かったのは、ショパン=ゴドフスキーのエチュードを楽しみに集まったピアノオタク達の熱気でしょう。

彼はリサイタル直前のインタビューでこう語っていました

この作品は単なる“原曲よりも技巧的に難しいエチュード”というものではありません。ゴドフスキーは、ショパンが書いた音楽的なイメージを、外側は変えながら、優れたテイストを保って膨らませています。

それにこの曲は、19世紀から20世紀初めに存在していた、特別なテクニックのショーケースでもあると、僕は思うんですよね。

・・・<中略>・・・聴衆のみなさんには、この曲は確かに技巧的に難しく書かれているけれど、技巧ではなく、そこから浮かび上がる音楽的な要素を楽しんでほしいということです。

「ホロデンコ、ゴドフスキー&スクリャービン&プロコフィエフを弾く」より引用

この言葉通りに、ゴドフスキーはショパンのエチュードから浮かび上がる心象風景を実際に音にしたんだなというのと、もうひとつ、この曲集には巷に溢れるガチャガチャ弾かれる(原曲)演奏への皮肉・風刺・警鐘も相当もあると感じました(溢れさせているひとりとして身につまされる点が多々ありました)。

昨年ピリオド楽器によるショパンコンクールが開催されましたが、あのピアノだからショパンがあのようなエチュードを描いたのであって、現代のような性能のピアノならこれくらいの世界を表現できるというゴドフスキーの考えと、ショパンの原曲から想起されるイマジネーション&インスピレーションを炸裂させたホロデンコでした。

各曲の印象を簡単に綴ると・・・

OP.10より1番、両手でアルペジョが演奏される何とも煌びやかで絢爛豪華な世界は、右手のアルペジオをただ分散和音の往復としてカタカタ弾くのではなく、もっとハーモニーの移り変わりによる壮大な世界をというゴドフスキーの切なる願いにも似た意図を感じました。

2番は原曲の3度付き半音階をただうねうねと弾くのではなく、そこから浮かび上がる世界は、これくらいファンタジックなんだよと教えてくれるようでした。右手は3度3連符はまるで妖精が舞っているようで、時にジャズ的にスイングするのはホロデンコのユーモア。

3番は左手のためのノクターン。「別れの曲」と呼ばれるこの曲に彼の在りし日の家族への追憶を聴きました。

ここで一旦袖に引っ込み・・・

4番は左手だけ。呆然と聴いてました。

8番は左右が入れ替わっているんだけど、ホロデンコの左手で弾くあの16分音符は倍音のせいか低い音域で弾いているように聴こえず、メロディーが何ともお洒落。

革命を左手だけで弾くのは、原曲の右手は休符いっぱいあるんだからいっそなしで!な感じなのでしょうか。

OP.25-9《蝶々》左右が入れ替わっているんだけど、これは「右手のオクターブ叩くな!」という強烈な皮肉が込められていると感じるのは私のコンプレックス?

急遽プログラム変更で、OP.25-11《木枯らし》だけショパンの原曲でしたが、ゴドフスキ編曲との落差を感じなかったのは、ゴドフスキー版のイメージが原曲に反映されていたからかもしれません。。。

それにしても、難曲中の難曲を全く危なげなく、余裕で戯れるように弾くのは本当に凄いことです。物凄いテクニックというのかもしれませんが、それよりも音楽の凄さに圧倒されます。

この作品集の全曲CDが予定されているとの事で、大いに楽しみです。

ピアノは繊細にキーを操作することで歌う楽器

スクリャービンが自分では弾かなかったという6番のソナタ。

もっとアブナイ演奏を想像していたけれど、妖しいほどに美しい幻想の世界に浸りました。

それにしてもホロデンコの響きは、豊かでよく伸びます。ファツオリの性能と彼自身のテクニックだと思うけれど、ホントに凄いです。なんか音が伸びている間にクレッシェンドしたりヴィヴラートかかっているみたいに(いい意味で)勘違いするほどです。

続くエチュードOP.2-1と42-5というプログラムは、聴き慣れたそれらではない新鮮な世界で、「ホントはこーゆー曲なのね」と魅力再発見でした。

融け合う響きに、ピアノって絶対に叩く楽器ではなくキーを繊細に操作することによって歌う楽器だというホロデンコの信念を感じます。

壮大な世界を表現するためには一層ストイックな姿勢が必要

休憩後はプロコフィエフ6番のソナタ。

「戦争ソナタ」と呼ばれる3曲のひとつですが・・・

破壊の1楽章、
破滅へ一歩ずつ行進するかのようなマーチの2楽章、
崩れ落ちる秩序、蜃気楼のような3楽章、
そして終楽章で最初のテーマが登場した時には「(こんなことになっちゃって)どうするんだよ〜?!」と叫ぶプロコフィエフの声が聞こえてくるようでした。

プロコフィエフは頭良くて洞察力も鋭くて、物事の本質を見抜いてしまう人だったけれど、(現実をどうにかする術なく)叫びを音楽にすることしかできない無力さを痛感していたんだなと思いました。ちょっと共感しました。

壮大で力強く、破壊的で暴力的な表現に満ちたこの作品であっても、ホロデンコは決して鍵盤を叩きはしないし、身体を大きく動かすようなパフォーマンスもありません。どこまでも《響き》だけで表現していて、ピアノという楽器のパフォーマンスを最大限に発揮して作品の世界を表現し、聴衆と共有することだけに献身しています。

我を忘れるような激しい演奏って一般にウケることが多いのですが、そこに陥いるのはたやすいこと。

そういう安易さを一切排除したストイックな姿勢が演奏に一層の凄味というか迫力というか説得力を持って聴き手を引き込みます。

物凄く集中して聴いたけれど、疲れは全く感じません。

むしろ、心身ともにリフレッシュしてくれました。

ささやかな幸せと平和の大切さをしみじみ感じたアンコール

物凄いプロコフィエフの後に、一体何弾くのかと思ったら・・・

まさかのスカルラッティのソナタKK.193。
時代は変わっても人間には美しいものを愛する心があることを信じさせてくれる素朴ながら典雅な世界。。。

続いてリスト=ブゾーニのラ・カンパネラ。
こっちの方がシンプルで原曲のヴァイオリンを尊重していて私的には好感が持てます。

ホロデンコは鐘の音のあの跳躍をペダルなしで事もなげに軽々と弾いていました。

そしてラフマニノフ プレリュードOP.23-2

最後はヘンリー・パーセル Ground。

プロコフィエフの破壊的・破滅的世界の後では、ささやかな幸せのありがたさと平和の大切さをしみじみ想います。。。

演奏の原動力は音楽と作品それ自体にある

ホロデンコは毎回聴く度に進化しています。

今日は何を聴かせてくれるのだろうという期待にあまりあるほど応えてくれるばかりでなく、本当に驚かせてくれます。

今回の彼の演奏に感じたのは、

音楽の存在意義と価値

そして、

音楽家の使命

でした。

「音楽は平和に貢献するか否か?」という議論がしばしば成されますが・・・

彼は、音楽は平和に貢献すると信じていると私は思います。

私も、音楽は平和に貢献すると信じています。それは、音楽がもたらす感動は人の心を動かし、勇気をもたらし、慰めを与えるからです。

人は、心が荒むから堕ちていくのです。それには衣食住足りていることと同じくらいに心が満たされていることが大切で、それが音楽をはじめとする芸術の存在意義であり価値です(と断言します)。

音楽家は心の糧、それも良質の糧を提供しなければなりません。ただ単に音の羅列ではなく、心を豊かに満たすものを提供しなければなりません。

ロベルト・シューマンは言いました。

人間の心の深奥へ光を送ること、これが芸術家の使命である

ホロデンコもまたそう考えていて、そして、彼のすべてでそれを実践していると、私は思いました。

彼が本当に凄いのは、それがただのきれいごとではなく、音楽や作品そのものから強烈なメッセージを受け取っていて、それを世界を放出し、満たさなければならないという想いに突き動かされていることです。そして、そのレベルの高さが尋常じゃない。。。

彼自身が突き動かされているからこそ、聴く私たちも心揺さぶられるのでしょう。

達者に弾ける人は掃いて捨てるほどいますが、音楽の本質を体現する演奏家はそう多くはありません。

ヴァディム・ホロデンコはその貴重なひとりです。

データ|ヴァディム・ホロデンコ ピアノリサイタル

ヴァディム・ホロデンコ ピアノリサイタル

☆プログラム☆

  • ショパン=ゴドフスキー
    ショパンのエチュードによる53の練習曲より
    作品10- 1・2・3・4・8・12、作品25- 9・11
    (作品25-11のみショパンのオリジナル)
  • スクリャービン
    ピアノソナタ第6番 作品62
    エチュード 作品2-1、作品42-5
  • プロコフィエフ
    ピアノソナタ第6番「戦争ソナタ」イ長調 作品82

アンコール

  • スカルラッティ ソナタ KK.193
  • リスト=ブゾーニ ラ・カンパネラ
  • ラフマニノフ  プレリュードop.23-1
  • パーセル 《Ground》c-moll

【日時】2019年6月11日(火)19時開演
【会場】豊洲シビックセンターホール
【ピアノ】FAZIOLI F278

 

翌々日のみなとみらいでのリサイタルはこちら。

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