第6回音楽家医学研究会~医学・身体運動科学から音楽家の健康問題を議論

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

素晴らしい演奏に接するのは音楽ファンの最高の幸せです。

そんな演奏は、演奏者のたゆまぬ精進の賜物・・・

日々の練習や本番でのパフォーマンスの成否は、オーバーユース(練習し過ぎ)やプレッシャー、ストレスなど心理的な問題を生み、演奏家が抱える問題は多岐に渡ります。

早くから発展してきたスポーツ医学に比べ遅れをとっていた音楽家医学も近年目覚ましい研究成果が報告されており、演奏家には心強いです。

今年も第6回音楽家医学研究会が開催されました。


この記事を書いた人
伊奈葉子 / Yoko Ina

ピアノと音楽、自然とお茶時間をこよなく愛する伊奈葉子です。慶應義塾大学文学部卒業。詳しいプロフィールはこちら♪


日本音楽家医学研究会とは

日本音楽家医学研究会は酒井直隆先生(さかい整形外科・東京女子医大附属成人医学センター)が中心となって2011年から毎年開催されています。

音楽家の障害は、腱鞘炎からジストニアまで様々な疾患が問題となっています。この問題に対処するために医療、音楽、運動学、生体工学に携わる人たちが一堂に会して議論できる研究会を開催することになりました。

第6回音楽家医学研究会ホームページより引用

第6回日本音楽家医学研究会プログラム

第6回日本音楽家医学研究会プログラムも例年通り4人の講師による興味深い講演でした。

  • 音楽を専攻する学生の健康

    田中真理子 (東京藝術大学保健管理センター)

  • 音楽家医学:歴史と最近の動向―腱鞘炎からジストニアまで

    酒井直隆 (さかい整形外科・東京女子医大附属成人医学センター)

  • 音楽家の身体運動制御研究が切り拓く未来

    藤井進也 (慶應義塾大学環境情報学部)

  • ステージ・フライト(舞台恐怖症)―薬物治療を中心とした集学的対策―

    頼島 敬 (医療法人ユア・メディック)

覚え書としての簡単にレポします。

芸大生は一般大学生と違う?!音楽を専攻する学生の健康

最初の講演は「音楽を専攻する学生の健康」。講師は東京藝術大学保健管理センターの田中真理子先生。

芸大男子学生には一般大学生より高度肥満が多い

田中先生は芸大ご勤務の前は東京大学保健管理センターにご勤務だったとのことで、東大生と芸大生の違いに驚かれたそうです。

中でも、問題なのは男子学生に多い高度肥満。対象の学生を説得して内科受診させたところ肝障害や糖尿病で要治療と診断されたとの事(><)

なぜそれほどに太るのかというと、朝ごはんと食べない、運動しない、だらだら食いなど一般的な理由の他に音楽家ならではの理由がありました。すなわち、

舞台映えしたい!だからやせようと思わない。

確かに、パヴァロッティなど大柄な声楽家はいます。しかし、だからといって健康を害するほどの肥満は問題です。そんな学生へやさしく温かく健康指導される様子を伺っているうちに、何だか芸大生のお母さんみたいだなと思いました。

頭痛・肩こり・腰痛の音楽家ならではの事情

頭痛・肩こり・腰痛を訴える学生が多く、原因はやはり楽器を演奏する人特有の事情があります。例として挙げられたのは

  • 歯ぎしりをする⇒リラックスや場合によっては歯科・口腔外科を受診。
  • 練習に際し準備運動や休憩を指導する⇒意識的に休憩する学生はほとんどいないとの事。
  • 楽器や楽譜・資料の運搬は背負うのが良い⇒背負う位置は低すぎない
  • 演奏時は椅子に浅く腰掛けるとしてもデスクワークでは深く腰掛ける・・・

講演を聞いていて感じたのは・・・、

オリンピックや世界大会を目指すようなスポーツ選手にはコーチ、トレーナーなどがチームを組んでトレーニングと心身の健康管理にあたり試合に向けてベストコンディションへ整えます。

でも、演奏家はそういう体制にはなっていません。国際コンクールを目指すような演奏家を育てるならそういう体制が必要です。

ピアノ大革命がもたらしたピアニストの手の障害~音楽家医学の歴史と最近の動向

続いて、この研究会の中心である酒井直隆先生(さかい整形外科・東京女子医大附属成人医学センター)の講演。テーマは「音楽家医学:歴史と最近の動向―腱鞘炎からジストニアまで」です。

音楽家医学と歴史的背景

そもそも音楽家医学はいつ生まれたのかというと、19世紀にさかのぼります。

記録として残っているのは、1887年に発表されたピアニストの障害に関する論文。当時、まだレントゲンのない時代に視診・触診のみでピアニストの手の障害を研究したお医者さんがいらしたのです。

なぜ、この時代なのかというと、ピアノの構造上の問題があります。

1850年頃ピアノは大革命を遂げ、現代のピアノが完成しました。ドイツのピアノメーカーベヒシュタインがかのフランツ・リストが弾いても壊れないピアノを開発したという話は有名です。すなわち、鉄製フレーム、ダブルエスケープメント、交叉弦、フェルトハンマーが導入され、それ以前に比べ鍵盤はずっと重くなりました。

また、市民革命による貴族の没落により、演奏会はサロンから大ホールへ移り、ピアニストはそれ以前にくらべはるかに多くのことを要求されるようになりました。

にもかかわらず、ピアノ教育はそれ以前のピアノと同じ奏法、すなわち、手を固定して指先だけを動かす奏法を前提としていました。そこで故障が起きるようになったのです。

この問題に着目し、自ら医学を学んでピアノ奏法を改良したピアノ教師がいます。重量奏法で知られるルードヴッヒ・デッペやトバイアス・マテイです。

医療関係者がこの問題に注目するのは100年後の1986年のことでした。

Overuse障害の概要

さて、手に問題が起きる原因の多くがOveruseすなわち、使いすぎ、練習のし過ぎによるものです。手の障害の70%は腱鞘炎と付着部炎と筋肉痛との事。

対策は、やはり適切な休息。これに尽きます。

腱鞘炎

手の痛みで整形外科を受診する患者さんの多くが、開口一番「腱鞘炎です・・・」と言うそうですが、腱鞘炎は腱鞘という神経を包む鞘がある部分の炎症に限られます。

酒井先生曰く、

腱鞘炎は「腱鞘」のある部位の炎症ですが、「腱鞘」のない部位を指さして「腱鞘炎なんです」とおっしゃる患者さんが多いことに驚かされます。診断は医者がするので、もっと素直に受診してくださいと言いたいですね。。。

フォーカル・ジストニア

近年大きな問題となっているフォーカル・ジストニアですが、まずジストニアとは何かというと、

ジストニアとは、中枢神経系の障害による不随意で持続的な筋収縮にかかわる運動障害の総称。wikipediaより引用。

どういう事かと言うと、楽器を演奏する場合に自分の意思に反して指が反り返ってしまったり管楽器なら唇の形を思うようにコントロールできないなどの症状です。当然、まともに演奏できなくなるので文字通り演奏家生命に関わる問題です。

音楽家のジストニアは一般整形外科でのケースに比べかなり特殊で、これをはたしてジストニアと言ってよいのだろうかという疑問があるようです。

続いて音楽家のフォーカル・ジストニアについて現在行われている一般的な治療についての紹介がありました。ざっとこんな感じ

  • Slow down excecise - 症状が出ないテンポまで落として練習。
  • Triger position - 症状が出るポジションを特定、観察することで気づきをもたらす。
  • Sprint - 患指にスプリントを装着。
  • Change in environment - 環境を変える。
  • Botulinum Injection - ボトックス注射で改善するケースがある。

    etc…

手の外科を目指す若い医師へ

Overuseの項で酒井先生が、手の外科専門医を目指す若い医師たちへおっしゃった言葉が意味深にして重要でした。

診断は基礎疾患がないことが条件。リューマチ、膠原病、乳がんなどの疾患が原因で手や腕の痛み・引きつりが起きているケースがあるので、まず一般診療を習得してから専門分野へ進むように!

実際に、手の引きつりが乳がんだったとか悪性腫瘍が原因だったとかで、残念な結果になったケースもあるそうです。

そうならないためにも、医師はとにかく患者さんが安心して受診できるように信頼してもらうことが大事。一般診療を習得するのに10年くらいかかり、それから手の外科をやるとあっという間に40歳くらいになるけれど、そういうものですと語る酒井先生。

患者になる身としてはありがたいおことばです。

ここで休憩。。。

会場は東京大学駒場キャンパス。

人は千差万別~音楽家の身体運動制御研究が切り拓く未来

京都大学在学中にアン・ミュージックスクール京都校でドラムを専攻され、ドラマーで研究者という異色の肩書を持つ藤井進也先生(慶應義塾大学環境情報学部)は、音楽・医学・身体運動科学の相互研究が未来を切り拓くというテーマでの講演でした。

藤井先生は8月に上智大学で開催されたシンポジウムでも講演されています。

音楽を感じる脳、音楽が傷つける脳~特別シンポジウムin上智大学
リオ・オリンピックでの日本チームの素晴らしい活躍の背景には、スポーツ医学の発達とナショナルトレーニングセンターの存在があります。 一方...

藤井先生は、音楽・医学・身体運動科学の3つが結びついて発展することにより演奏家の未来を切り拓いていく研究につながると提唱されています。この日は、音楽と身体運動科学、音楽と医学の分野の研究が紹介されました。

音楽と身体運動科学~ドラムをたたく時の伸筋と屈筋の働き

音楽と身体運動科学の研究ということで紹介されたのは、世界最速ドラマーと一般ドラマーとノンドラマー(素人)がドラムを叩く時に伸筋と屈筋がどう働いているかでした。

グラフを見て興味深かったのは、

  • 世界最速ドラマーは、音が鳴る瞬間よりも前に伸筋のピーク。
  • 一般ドラマーは、音が鳴る瞬間に伸筋のピーク。
  • ノンドラマーは、音が鳴った後に伸筋のピーク。

要するに、世界最速ドラマーは、スティックを投げるかのような動作でドラムを叩いているのだろうと想像しました。速度を出すためには限りなく合理的・効率的な運動が求められますが、その答えが「投げる」という動作なのかもしれません。

音楽と医学~音を聴くと運動野も働く

音楽と医学の研究では、人間が音を聴いた時に脳のどの部位が働くかのMRIデータが紹介されました。

人間が音を聴くと、聴覚野が働くことは容易に想像できますが、実際にMRIをとると、運動野も働いています。つまり、

人は音楽を聴くと踊りたくなる。

実際、パーキンソン病患者に音楽を聴かせると、歩行困難な患者が軽やかに歩き出すYoutube動画が紹介されました。

最後にジストニアの話も出ました。藤井先生曰く、

ジストニアの症状は千差万別で、まさに個人差の研究。平均化すると誰の役にも立たなくなってしまう。

患者さんの中には、ジストニアになったことで、何とか治そうと工夫し、クリエイティブになったと話す人もいるそうです(私もそう思います)。

演奏前に薬を服用する時代になる?!ステージ・フライト(舞台恐怖症)

最後はステージ・フライトいわゆる「あがり」について頼島 敬先生(医療法人ユア・メディック)の講演です。

「あがり」をいつしか「ステージ・フライト」と呼ぶようになりましたが、学術的定義はまだないそうです。

あがりについての認知心理学者の見解

あがり対策について認知心理学者の見解としてはこの3つ。

  • ピーキング - 本番で最高の能力を発揮できるように練習する。心身のコンディショニングの調整との関連が重要。
  • バーンアウトの予防 - 練習し過ぎで本番前に燃え尽きてしまわないように注意。
  • 自信を高める - 準備をしっかりする。

言葉にすると当たり前なのですが、これは本当に難しいです。

β-ブロッカーの可能性

ステージ・フライトについて、ちょっと衝撃だったのは薬物療法が広まっている感じがあること。本番でぐちゃぐちゃになるほど手が震えて困る人には、β-ブロッカーが効果を表す例が少なくないようです。

この辺りの話を聴くと、国際音楽コンクールでもドーピング検査が導入される日が来るかもしれないなと思ったりしました。。。

ちなみにβ-ブロッカーはぜんそく・糖尿病などの疾患がある人は服用不可。保険のきかない自由診療なのでそれなりのお値段になることが想像されます(聞きませんでしたが・・・)

意外に要注意なカフェイン

カフェインが振戦(ふるえ)を助長させるのはよく知られています。本番前にコーヒー、紅茶、緑茶を控えるのは一般的として、注意したいのは、風邪薬やぜんそく・気管支炎の薬にも含まれていること。

本番前には風邪を引かないように健康管理に十分注意したいです。。。

まとめ

4人の講師による講演の後は、参加者からの質問を募りディスカッションが行われ、整形外科医、理学療法士、学生など幅広い参加者からの興味深い質問により一層深い内容が聴けました。

最後にまとめです。

音楽家は日々の地道な練習と人前でのパフォーマンスという相反するステージを行き来しています。基本的に真面目な努力家な人が多いので、オーバーユースによる障害とあがり(ステージ・フライト)は宿命的な課題と言えます。

音楽家はそのあたりを自覚した上で、自己管理することが自身のため、音楽のためです。

異常を感じたら専門医を受診すること。思わぬ疾患が隠れていることがなきにしもあらずです。

音楽・医学・身体運動科学の各分野が結びつくことで音楽家に多大な貢献がもたらされます。

ステージ・フライト(あがり)に対する薬物療法は今後広まっていくのかもしれません。

☆データ☆

第6回日本音楽家医学研究会

⇒音楽家医学研究会ホームページ

日時:2016年11月3日木曜日(祝日)13:30~17:20

場所:東京大学駒場キャンパス

21 Komaba Center for Educational Excellence (21 KOMCEE)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

Follow me!

この記事を書いた人

この記事を書いた人
伊奈葉子 / Yoko Ina
ピアノと音楽、自然とアートとお茶時間をこよなく愛する伊奈葉子です。慶應義塾大学文学部卒業。詳しいプロフィールはこちら